タイの不動産、観光、起業、生活情報ブログ

タイで起業していくにあたり、お金もコネも人脈も語学力もない私が奮闘している中で得た情報を共有していきたいと思います。

起業の軌跡

2014年7月末  :1週間のタイ渡航

2014年9月   :タイ移住開始

2014年10月28日:初めての法人登記

起業1年生、将来への期待、やる気、不安さまざまな感情が交差しつつも、新天地での生活の楽しさ、初めて踏み入れる場所への興奮。ネガティブな感情よりもポジティブな感情が勝っていた1年目。全てが新鮮で僕の気持ちを高揚させ続けていた。

 

2014年12月-2015年4月 広告サイトオープン前の準備期間とプレ営業活動。初めてwebsiteを開発していく中で、わからない事ばかりで、大変ではあったが、事前営業活動で得られる見込み売り上げに心躍らせながら過ごしていく日々。日系企業が中心でもあったため、成約率は50%を超え、期待感がまだ多かった時期。

 

2015年4月-2015年7月:サイトオープン。日系企業はせいぜい50社。プレ営業活動期間で既に訪問を終えていた事もあり、欧米系、タイ系企業バンコクやパタヤの業者に営業をかけるが、やはり言葉の壁、文化の違いを痛感。成約率は20%前後。多くの無駄な時間をかけ、トラフィックのないサイトの広告活動に頭を悩ませる。営業がどれだけ必死でも商品が仕上がってなければやはり難しいと痛感。タイ生活が長くなり、サイトの欠点にも気づき、修復不可能な事に頭を悩ませる。さらに心労だったのはプログラムのバグだ。ベトナムでの開発。会社自体も3年と若く、決して技術力が高かった、経験値が多かったとは言えないだろう。そんなエンジニアとのやりとりバグの修正活動は困難を極めた。最終的に一部のバグは直る見込みすらなかった。

 

7月頃にはプレ営業活動の成果もあって、既に事業としての限界を痛感。心は深い闇にとざされていた。投資家からの資金は期待できない。仮に受けたとしても、今後の生活に影響が出る。投資を受ければ受けるほど、完全独立への道は閉ざされるだろう。自身のわずかに残る現金貯金も投入していた為、とにかく売り上げを上げないと資金ショートする事は目に見えていた。

 

そんな中のバイク事故だ。原因は単純な不注意である。急いでいた事と、やはり心のどこかでどうにかなってしまいたいという気持ちもあったのだろう。普段アクセルをかけない状況でアクセル。案の定タクシーとバスに接触。人生で初めて救急車で運ばれた。幸いにもケガは軽症だった為、1日で退院する事ができた。ただし、両手松葉づえなしには痛みで歩く事はできなかった。さらに大変だったのは翌日からのラオスへのビザランである。ビザ取得の為、ラオスへのバスツアーは本当に大変だった。孤軍奮闘。一度は折れかけた心だが、タイまで来ている、背水の陣である。という気持ちは強かった。

 

翌日からは、当然営業活動はできない為、web製作業を始める為の学習からスタートした。なぜ問題ばかり起きたのか?やはり開発マネージャーでは実務が伴わない為、なにが大変なのかがわからない。自身でプログラムを学ぶ事で、過去失敗した理由の振り返り、そして少しでも時間を有意義に過ごす為、今後の売り上げを得るルートを増やす為、必死だった。

 

2015年8月ー10月

幸いにもケガは2-3週間で完治し、松葉づえなしで歩けるようになっていた。web製作は実験的にサイトをオープンできる程には知識を蓄え、わずかながら不動産賃貸仲介業で売り上げがあったが、ショート目前だった。そんな中、とある投資家より郊外のタウンハウスの販売の話をもらう。売却すれば想定売り上げは100万円近くになるが、郊外の為、まったく売れる物件かがわからない。しかし、周辺調査や事前客付け活動の成果、そして日本での不動産売買をしていた勘で「これは売れる」と思った。投資家は10軒近くの不動産仲介会社を訪問していたが、興味を示したのはウチのみだった。

2015年11月

今まで温めていた見込み顧客の関心を引く事に成功。資金はショート寸前だったが、残り数百バーツまで口座預金が到達していたところで、まとまった資金をGETできた。ウチ以外が見捨てた物件を売却。しっかりと客付けまで行い。投資商品をして完成させる事に成功。まさに大きな大きな救いの1手であった。

2015年12月

タウンハウスの売買売り上げや、かねてから温めていた仲介案件が重なり、まとまった利益を出す事に成功。この頃はまだ賃貸の案件もほとんどなく、先は見えない中でも、まずは光を見出す事ができた大きな転換期であった。

2016年1月

初めてのタウンハウス売買だったが、キッチンから水圧ポンプ、家電家具を全て一人で導入していたことには骨が折れた。12月中旬から2月下旬まではタイ人スタッフは1人もいなかった為、homeproとの折衝は、本当に大変だった。特に大変だったことは、英語が通じない事もあるが、配送業者や設置業者、コールセンターと指揮系統はバラバラ。配達時間への調整だけでも沢山の時間を無駄にした。加えて郊外への移動時間と、多くの労力を使い、売り上げはほとんどない月となった。

 

2016年2月からは完全に賃貸仲介主体の会社に切り替わっていた。web製作時の教訓は人に頼らない。自身で完結できるビジネスに集中するであった。このころにはタイ人気質も理解し、いかに人に頼らない。自身の責任の下でお客様に役にたてる事をしなければならない。苦しいタイ生活はある意味、大人の考え方(割り切り方)を学ぶよい機会だった。ただし、平行して通訳やビジネスサポート、web制作事業も織り交ぜつつ、紹介だけでは足りない売り上げをなんとかカバーし、赤字にはならない会社を継続していく事ができていた。

2016年4-6月。賃貸業と平行して多事業に展開したいと考えていた時、たまたま2月にインターンシップ3人にやらせていたナイトマーケットの飲食ブースの販売抽選のあたりをスタッフが引き、新たな展開が生まれていた。抽選は100倍近くだったのにも関わらずタイ人スタッフが引き当てたのは衝撃以外の何物でもなかった。だが、やはり現実は甘くなかった。2月インターンシップのみでオープンしていた時は黒字だったが、タイ人スタッフのみ、露店の場所も変更となっていた為かまったく売り上げが伸びない。

月曜定休による毎週日曜夜の片付けも大変だった。売上も伸びず、労力ばかりがかかる事もあり7月にはナイトマーケット閉鎖を決定。しかし、露店という事もあり赤字もかなり少なく、主事業に影響はまったくなかったのは幸いだった。

 

2016年末には賃貸業の経験値もどんどん深まり、2016年1月から継続していたタイ語レッスンの成果もあり、短い期間ながらかなりの熟練度まで昇華していた。2016年10月頃より、日本人スタッフも一人増え、利益はほとんど出ないながらもやっと少しではあるが組織ができてきた。そして車も中古ながら買う事ができ、客層にも広がりが産まれていた。

 

2016年12月オフィスをタウンハウス一軒に移動し、総面積300sqm程のオフィスに移転する事ができた。又貸し可という奇跡の優良物件に出会い。不動産事業にさらに広がりができていた。オフィス移転に伴うオフィス内装(ペンキ塗りや棚作り)を自分たちで行った事もあり、最小限の出費に抑えられた。又貸しも素早く決まり。見事固定費削減が進行していた。

 

つづく。。。


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